https://news.livedoor.com/article/detail/17277977/
「人間には何歳になっても可能性がある」といわれる。だが、その言葉を素直に信じていいのだろうか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「たしかに可能性はある。だが、可能性があることこそが希望であり残酷なことだ」という--。
※本稿は、フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「伸びシロがあるよ」と言われて、喜んでいいのか
誰にもできないことをするのではなく、誰でもできることを積み重ねて、誰にもできないレベルにまで高めていく。仕事であれ、学業であれ、研究であれ、趣味であれ、それが大事なのではないか、と考えるようになった。
そのように考えるのは、僕が皆さんと同じように凡人で、そのうえすでに中年で、伸びしろのないオッサンだからだ。
一方、「人間には何歳になっても可能性がある」とおっしゃる人もいる。そりゃそうだ。可能性が0%の人間はいない。どんなボンクラでも0.001%くらいは可能性がある。だが、冷静に20歳の頃の自分と今の自分とを比べたら、可能性は相当減っているのは間違いがない。
もちろん、年齢を重ねるごとに可能性が増していく人もいる。僕は年齢に比例して可能性が増していくタイプではないということ。狭い観測範囲からの推測だが、年齢とともに可能性が減っていくタイプのほうが多いのではないだろうか。40歳を超えたオッサンで、誰かから「あんた伸びシロがあるよ」と言われて、素直に喜ぶ人がいたら、楽観的すぎやしないかと訝ってしまう。
■可能性が残されているのは素晴らしくも残酷だ
逆に言えば、どんな人間でも可能性がゼロパーにならないことが、人生の素晴らしさであり、残酷さなのだ。人は誰でも、自分に与えられた時間を自由に使う権利がある。仮に、可能性がゼロだったら、ああ俺には可能性がない、堅実に今を生きようと、諦めがつく。だが、イチパーでも可能性があれば、そのイチパーに残りの人生のすべてを賭ける人がいても、咎められない。
以下ソースで
★1 2019/10/24(木) 21:17:59.04
前スレ★2 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1571924388/-100
あるヤツもいるだろ、そりゃ。
その率が著しく低いってだけで。
39歳なら有るが
40歳になった時点でアウト
40代になると家庭もあるのが一般的だし
行動も制限されるでしょ。
毛色の変わった考えに出会うことは実に稀である
諦めろ
最初は糞味噌に貶されたけど、コンテストで受賞できた
あーでもない、こーでもない、と評論を述べる人たちの村社会になってるからね
希望的観測と願望だけが真実となり一人歩きしていく
ええじゃないか祭りなんだよ
それを延々と繰り返すたびに何も変わらない
何も変われない
本当に画期的な考えというものが出てくることはもうないのかもしれないな
ゲーム理論にはなるがLv10~20までの必要経験値とLv50~Lv51までの必要経験値は似て非なるもの
子供の成長は目に見えて驚異的だが大人の成長は緩やかでわかり難い
そもそも成長の度合いなんて目に見えないから目に見えやすいモノにいきがち
子供の頃のIQ150と大人のIQ70は同じくらいって言われるからね。大人になるにつれて必然とIQは低く見積もられる
こういうのは進化論も進化していると言えるのだろうかね
そうは見えないが
自然エネルギーを原発事故の時にやっていれば
今頃トップランナーとして存在感を持てたかもしれないのに
完全に後追いのコバンザメ状態
これまで蓄積したものがあること前提だけどさ
あるプロジェクトがきっかけで、うまくはまってどんどん伸びていくことはある
ほんの一握りの人だけだと思うし、もともと伸びる兆候はあったんだろうけど
自分で気づかなかった素質や才能に急に目覚めるというか
死ぬまで働いて税金納めろよと。
しかも言うだけで大して生かす気も無いから最悪
敗戦も遠くなり硬直的な日本的価値観が支配的になってからはまた衰退への道が始まったというありさまだろう
ただ、積み重ねた経験から広がりはある
新たに違う仕事始めたりしたら、そこには伸びしろもあるだろう